熊野古道沿いの名勝(文化財を含む)

更新日:2021年03月31日

水壺地蔵

1850年(嘉永3年)大阪の大工佐藤屋宗七がお礼に灯籠を寄進した。
ここまで職を求めてやって来たが、仕事がなく、疲れ寝てしまう。夢のお告げで、ここから下った神木という集落に仕事があるとのことで行ってみるとそのとおりで、繁盛したという。
神木側から横垣峠道を登りつめてまもなくの所にある。
弘法大師の湧水地やサクラの大木がある。

上地の地蔵

阪本岩洞院の摘水和尚が発願写経し、1834年(天保5)に建立。
栗須宝積院の宝篋印塔、通り峠の地蔵などを発願している。
横垣峠道の阪本降り口にある。

古道の埋没箇所

横垣峠道の坂の峠から下る辺りにある。地震で埋まったのか、なぜこのようになってしまったのか分からない。迂回路が造られている。

神木西地のイヌマキ

イヌマキ種としては、日本で第2番目の太さの大木である。幹周り5.65メートル、高さ20メートルある。平成12年度に町の文化財指定、平成14年度に県の文化財として指定された。毎年正月にはお神酒を上げて祀っている。昔の「狩掛の宮」神社の跡ではないかとも言われている。

紀州犬の里(阪本)

昔、峰弥九郎という火縄銃の名人が住んでいて、ある日、新宮まで行った帰り、引作に来たときに狼が口に骨が刺さっていたのを助け、マンという狼の子をもらう。この育てたイヌが新宮の殿様の猟場の巻き狩りで手柄を立てる。褒美をもらうが、「狼は生き物を千匹食べると、次は飼い主を襲うと昔からいわれている。イナゴ一匹でも生き物のうちに入るから、もうそろそろ千匹になるかもしれん。用心したほうがいい」と、おばさんから言われる。家の外で聞いていたマンは三回ほど遠ぼえをし、姿を消した。夜になると鷲巣山の方から毎晩、遠ぼえが聞こえ、「あれはマンの鳴き声だ」とうわさしたという。紀州犬は弥九郎が育てたマンの血を引くといわれている。
弥九郎の墓は阪本の岩洞院にある。

折山(阪本)神社

弘化2(1845)の御神燈がある。庄屋の小原源七郎が紀州藩を動かし、鷲ノ巣山の標高650メートルの高さに溜池を造り、その施設保存のために建立。
昔、この神社は折山の中腹にあったと言われている。

三倉谷の池

満水になったときの水は透明できれいである。弘化3(1846)に、この時の庄屋であった小原源七郎が総代となり、堤長36メートル、奥行54メートル、深さ3メートルの池が造られた。
鷲ノ巣池と三倉谷の池を築いた徳を称えて、明治5年に岩洞院境内へ小原源七郎の頌徳碑が建てられた。

亀島の石灯籠

文化10年(1813)に建てられたもので、妙見山の遥拝所である。台座ともに2.50メートルの高さで菊の紋が彫られている。近辺で、この石灯籠ほどの大きさのものはない。

風伝峠

標高257メートルの所にある。江戸時代以前から奥熊野と奈良県の北山を結ぶ最短コースとしての峠で重要な役割をしてきた。
春夏は湿気の多い熊野灘の海風を北山の村々に運び、秋冬には大台山系から冷たい風を紀州の浦々に吹き降ろすという風の通い道となっていて、一年中風のやむことのない峠である。このことが地名となったとも言われている。
この峠から下り来る霧、「さぎり」が風物詩として有名である。

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